新・供述調書
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夕暮れが近づいてくる

私の人生の〜♪

勝どきの憂鬱・その1

ノースアップの地図で見ると、東京都中央区の左下あたりにある、勝どきという街。
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晴海通りが南北を走り、北側にはあの勝鬨橋、南にはかつてモーターショーなどが行われていた街・晴海、東にはもんじゃの街・月島、西は豊海という倉庫街と、その先の海を挟んでレインボーブリッジが望める。
鉄道的な見地から言えば、2000年に都営大江戸線が開通するまでは、陸の孤島と言われていたこの地域。
しかし、都営バス路線は昔も今も、そこそこ充実している。
オレの地元からは、チャリで15分かからない距離で、記憶が確かなら、ほんの10年ほど前までは、隣の月島や築地と同じ「ザ・下町」であった。
古い木造の家屋、商店が立ち並び、その裏には「路地」というのにふさわしい小道が所々にあった。
当時から埋立地住まいだったオレにとっては、ほっこりとした情緒を感じられるこのような街が近所にあり、とても癒されていたものだった。
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それが、時を追うごとに、どんどんヤバい街に変わりつつあり、それは現在も進行形である。
では、一体どのようにヤバいのか?
ってのをちょいと書こうと思ったが、頭の中でまとめているうちに、本を一冊書けるぐらいの要素が溢れ出してきたので、何回かに分けて呟こうと思う。

まず、歴史としては、明治時代に埋め立てられた土地(結局埋立地じゃんw)で、当時は現在の月島に当たるb部分と合わせ、月島と呼ばれていた。
人工的に作られた街だけあって、前述の「晴海通り」が南北に、そして西仲通りや東仲通りなどが東西に走り、まさに碁盤の目なのは現在も同じである。
昭和15年に勝鬨橋が完成するまでは、江戸の離れ小島で、ここに渡るには「勝鬨の渡し」という船が唯一の手段だったらしい。
その後、昭和の中頃〜終わりに町名が変更になり、なぜか晴海通りではなく、その少し東にある運河で、月島と別れ「勝どき」という町名に改められた。
なので「勝どき」という街自体は、同じ中央区の日本橋地区の街々に比べれば、歴史は浅いのだが、それでも空襲で焼け残った多くの建物は、かなりの風格を保っていた。

そんな平和な下町に、いよいよ地下鉄が通るってえからさあ大変!
まじヤバイです、勝どき。
続きはまた。
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